私の過去

私は3歳で日本にきた。

日本で言葉も食べ物も、お金も違う。
私は外国人だから目の色も髪の色も話す言葉はもちろん、みんなと
違った。

そのため、いじめにあった。
差別も味わった。

いじめは、言葉のいじめだったけど心に傷はついた。
差別は未だに味わうこともある。

その時は悲しくなったりもするけど、そのおかげて強く
なれた。

いじめに立ち向かえたのも家族の支えがあったからだと
思う。
立ち向かえない人も中にはいて、亡くなる方もいるけど
亡くなったら負けだよと小さい頃から教え込まれた。

だから立ち向かう勇気がついたのだと思う。
家族が味方でいてくれたから。

差別はどこの国にもある。でも良くない事
味合わないとどれだけ嫌な思いをするかを理解できないはず。

高校生でアルバイト探しを始めた私。
外国人だから断られたりもあった。

やっと決まったアルバイトでは外国人だから1日、3、5時間以上は出来ないと言われた。
一緒にアルバイトしていた友達は日本人でバリバリ稼いでいた。

差別を味わうたびに思う。私が日本人だったらと。
でも違う。今は通訳の仕事をしている。

日本語を訳す仕事。

過去があったから今の自分がある。

海外で生活

私は21歳。3歳で日本にきた。
両親は仕事をする為、日本に先に来た。

両親が日本にきて1年後私が日本に来た。
私に良い教育を与えたくて日本に来ることになった。


3歳の私は、日本に来てすぐ日本の保育園に入ることになった。
言葉もわからず、食べるものも違って最初は泣くばかりの私。

3歳の私はご飯を見た目で決めていた為、残すこともあった。
その時は、私だけ外に遊びに行かせてもらえなかった事を今でも覚えている。

保育園にいくにつれ言葉もわかり、会話もできるようになって、行くのも
楽しみになっていた。

私が住んでいた所では外国人が多く、小学校は日本人もそうだけど
外国人の友達もたくさん出来た。

中学校では違う所に住み移る事になって、最初は不安の日々だった。
でも会話が出来れば話は早いと自分に言い聞かせた。

中学校でも友達が出来た。中学校生活短く、卒業式では泣かないと思っていた自分が
泣いていた。

高校では新たな人生の始まりだった。
友達とは高校を一緒にせず、自分で行きたいのを決めた。

後悔のない高校生活を送ることが出来た。

日本では暮らしやすい。安全だから安心して生活できる。

私の趣味

私は子供のころから体を動かすのが好き。
小学校では休み時間になれば必ず校庭に出て男の子たちと
サッカーをしていた。

サッカーを休み時間だけでは足りなく、放課後や、サッカー教室のも入った。
今は女子も男子もいるスポーツだからいい。

サッカー教室に入って、いろんなドリブルの仕方などを教わり、休み時間一緒にサッカーをしていた男子などにも
上手くドリブルなどをして、ゴールを決めることが出来た。

私の学校では、外国人が多い学校でサッカーをやるときは、日本vsブラジルなどでもやっていた。
私は、ハーフだからブラジルのチーム代表として試合をすることに。

日本vsブラジルの試合がいつもの試合より燃えていて、その日だけ人数も増える
私は負けず嫌いだから勝つのに必死だった。

日本人チームもサッカーを習っていたからだ。
私たちとは違う教室だったけどすごく上手かった。

サッカーをしている時だけ全てを忘れられる。サッカーは心と頭のケア―になると
感じている。体全体を使うスポーツだから健康にもいい。
 

サッカーの楽しみ方は試合をするだけではないと思う。
テレビで試合を見るときも家族で盛り上がる。

家庭料理

私は、クウォータ。

結婚もしていて、旦那さんはハーフ。

元々私がクウォータだから家庭料理がたくさんあると

日々感じていた。

だから、家庭料理って言われてもあんまりぱっとしなっかった。

結婚する前から料理に興味あったから両親の手伝い程度だがやっていた。

結婚してから自分で一からやることになり、そこで私と料理の出会いが始まった。

最初は仕事していたこともあり、家に帰ってすぐ夕食作り

焦げたり、味がいまいちだったりとだめだめだった私。

レシピを見ながらやっても上手くいかないこともありました

女である限り料理から逃げられない。ましてや、奥さんになったから諦めたりもできない。

もちろん家にない調味料などもあって。。

休日ならゆっくり作れるから失敗が少なかった。

落ち着いてできるから見た目にも力が入って上手できた。

結婚してもうすぐ3年になる。今では二児の母に。

やっと健康なメニューなど考えられるようになってきた

けど、まだまだ未熟な私。

家庭料理とは、私にとって優しい味、その家庭でしか食べられない

今はそんなイメージがある。

私の両親の家庭料理が美味しく、私も子供たちに美味しい家庭料理を

食べさせたいから毎日料理を作ってる時間が勉強だと感じる。

二児の母

私には、二人の子供がいる。

息子は一歳六ヶ月でもうすぐ検診の時期
もう一人は妊娠中である。春には出産。

息子を妊娠中つわりが酷く、七キロ痩せた。
お正月もインフルエンザにかかり、寝ていた。

辛い時期だったけど、無事産まれてきてくれた。
産むまで母がどんな事をするのかも想像出来なくて
不安でいっぱいだった。自分が育てられるのかとな。

そして息子は生活していく上で日々成長している。
あんなに小さかった息子が今では一人遊びや、自分の意思を
少しだが伝えられるまで成長した。

どんなに早く成長しているか。
私は時々願う。時間よ止まって。

妊娠中の私に甘えてくる息子がとても可愛い。
お腹にキスしてくれたり、撫でてくれたりもする。
お兄ちゃんになるって感じてるのかな。

私は日々子供たちに癒される日々を送っている。

子供は毎日成長する。だから私は何も逃さないよう
子供との時間をたくさん作って大切に過ごしている
母である私も成長できるようにしている。

子供は宝であり。子供が居ることで、家庭内に笑顔が増えた。
子供がいて大変な事もあるけど不可能ではない。

時々周りに助けてもらうこともあるけど子供がいたらそれが当たり前。
感謝の気持ちだけは忘れないように心がけている。それを子供たちにも教えたい。

学生時代

20代の私
学生時代がなぜこんなに懐かしく感じられるのかな。

私の家族は仕事の関係で引っ越す事が多くそのたびに学校も
変ってたから仲良くなる前にバイバイっていう感じだったな。
小学校では休み時間になれば外に行きサッカーや一輪車など活発な遊びばかりしてた。

中学校、高校などは同じ県にいれたから仲良しの友達もできた。
中学校では、自転車通学しかも初の制服生活。ワクワクしていたのを覚えてる。

今では妹が中学校生活を楽しみにしている。

私の中で高校が一番楽しかった。
友達もたくさんできて、学食も食べて色々あった。

高校で大変な事も。規あった。則の厳しい学校だったから
頭髪服装検査があるたびに、地毛でも髪の毛を染めるように言われ続けた3年間
私は、日本人じゃないから明るいのは当たり前だと思う。
でも規則だし黒に染めた。

その他大変なのが高校2年生の終わりからある進路相談が始まり、
人生の別れ道だと感じた。

遅くまで進路室で調べ物をしたり、先生に相談乗ってもらったりと
それが時には恋しい。

学生時代がどれだけ楽で楽しかったか今になってわかった。勉強は付いていくのに必死だったけど。
バイトもして、好きな物買ったり貯金したりと自由だった事がわかった。

恋愛

全てに始まりがあり、終わりもある。恋愛も同じ。
恋愛をする事で学べる事がたくさんある。

失恋を経験すれば立ち直る力が身につく。
上手く付き合えたら自分磨くにいつも以上に力が入り綺麗になれる。

恋愛をしているとき相手を振り向かせたくて、いろんな事に気合が入る。
毎日が楽しくなる。

だから恋愛は人間を成長させてくれる大切な存在だと思う。

恋愛は人生と一緒だと思う。何事も上手くいくわけじゃないけど
上手くいったときの達成感は素晴らしいものだと思う。

恋をすれば勝手に行動に出てしまう。
自然とボディータッチが出たり、気づいたら一日その人の事を考えていた
なんてこともしばしば。

恋愛は頭のリフレッシュにもなると思います。

恋愛をしないで仕事一筋の人間もいるけど
上手く工夫すれば両立できると思う。

男性の場合、仕事一筋の人が多いと聞くけど、恋愛をすることで仕事が
上手く行くこともある。仕事一筋の人間は、常戦闘モードになっていることが多く、
とてもストレスが溜まっていると思う。

だから恋愛をし、頭と心のケア―になると知ってほしい。

恋愛をして損はないと思う。恋愛していないことが損。